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演目解説

『俊寛』

―― 孤島に残された僧の絶望

 

 能『俊寛(しゅんかん)』は、『平家物語』を典拠とし、平氏政権下で起きた「鹿ケ谷の陰謀」に連座した僧都・俊寛の悲劇を描いた作品です。平家全盛の平安末期、陰謀は露見し、俊寛は藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)とともに絶海の孤島・鬼界ヶ島(きかいがしま)へ流されます。後に、中宮徳子(ちゅうぐうとくこ)の安産祈願による大赦が下り、赦免使が島へ派遣されることとなりました。

 

 物語は、成経と康頼が信仰を慰めに島を巡礼し、俊寛が谷水を「菊の酒」として振る舞う場面から始まります。都を偲びつつも、三人は厳しい流人生活を支え合っていました。そこへ赦免使が到着し、赦免状が読み上げられます。ところが、記されていたのは成経と康頼の二名のみで、俊寛の名はどこにもありません。俊寛は何度も書状を繰り返し見直し、裏まで探すものの、望みは潰え、取り乱す姿が舞台に描かれます。

 

 やがて船出の刻、俊寛は必死に纜(ともづな)へすがりつきますが、赦免使は冷たく切り落とし、成経と康頼を乗せた船は沖へと漕ぎ出していきます。去りゆく友の声も次第に遠ざかり、俊寛は孤島にひとり取り残されます。歓喜から絶望へと急転する心の振幅、その落差の大きさこそが、この曲の大きな見どころです。

 

 能『俊寛』の特色は、舞の要素をほとんど持たない、異色の劇である点にあります。抑制された動きと重厚な謡によって、俊寛の焦燥や孤独が丹念に表現されます。通常、生身の男の役は直面で演じられることが多いのに対し、本曲の俊寛には専用の面「俊寛」が用いられることもあり、過酷な運命を背負う人物像を際立たせています。

 

 孤島にただ一人残される人間の孤絶を描く本作は、能の中でも際立つ写実と心理劇の性格を備えています。そこには、権勢を誇った都の栄華から切り離され、最後に頼みとした友と別れる俊寛の、人間的な弱さと深い絶望が凝縮されています。『俊寛』は、華やかな演目とは異なる静かな迫力をもって、観る者の胸を強く打つ悲劇の名曲です。

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