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演目解説

『二千石』

―― 笑いの中に見える「家」と「人」



 狂言『二千石(じせんせき)』は、主人と太郎冠者とのやり取りを通して、人間の可笑しさや情の深さを描いた作品です。無断で京見物へ出かけた太郎冠者を叱るところから始まりますが、単なる主従の騒動話には終わりません。怒り、見栄、感傷、そして笑いへと移り変わっていく人間の感情が、この曲の大きな魅力です。



 主人は、勝手に都へ出かけた太郎冠者に腹を立て、その私宅へ怒鳴り込みます。しかし、太郎冠者が「京内参りをしてきた」と聞くと、都の様子が気になり始め、ついには話を聞きたさに許してしまいます。このあたりの、威厳を保とうとしながらも好奇心を隠せない主人の姿には、狂言らしい人間味があります。



 太郎冠者は、都で流行していた謡を覚えてきたと言い、「二千石の松にこそ――」と謡い始めます。ところが、その途端に主人の表情が変わります。実はその謡は、主人の家に代々伝わる特別な謡だったのです。



 主人は、「二千石」の謡によって先祖が恩賞を得たという由来を、まるで一族の歴史を語るかのように大仰に語り始めます。家の繁栄の礎ともいうべき大切な謡を、太郎冠者が勝手に持ち出し、都で流行らせたに違いない――そう思い込んだ主人は、ついには刀を抜いて成敗しようとします。



 しかし、ここから曲は思いがけない方向へ進みます。刀を振り上げた主人の姿を見た太郎冠者は、「その手元が先代そっくりでございます」と泣き出すのです。その言葉に、主人も亡き父を思い出し、次第に涙ぐみ、ついには太郎冠者を許してしまいます。怒りから感傷へ、そして最後は二人で笑い合って終わる展開は、狂言ならではの温かさを感じさせます。



 『二千石』の魅力は、理不尽さと人情が紙一重で描かれているところにあります。主人は怒り出したかと思えば涙し、太郎冠者も叱られながら巧みにその場を切り抜けていきます。その姿はどこか滑稽でありながら、不思議と人間らしく映ります。



 また、この曲には「親に似る」という感覚が印象的に描かれています。主人が父に似ていることを喜び、最後には「子が親に似て家を継ぐのはめでたいこと」と笑う結末には、日本人の家や継承への感覚も垣間見えます。



 狂言は、ともすると単なる喜劇と思われがちですが、『二千石』には、人間の感情の移ろいや、人と人との距離感が巧みに織り込まれています。大げさで、少し理不尽で、それでもどこか憎めない――。そんな狂言の魅力がよく表れた一曲といえるでしょう。

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